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【ネタバレ】『君たちはどう生きるか』は、『飛ぶ教室』に比肩しうる。

おはようございます、すずきです。ようこそお越しくださいました。

宮﨑駿監督が再復帰作として、同名の映画を作るというニュースが駆け抜けたあと、Amazonではあっという間に「1~2か月後に発送」となった話題作、吉野源三郎さんの『君たちはどう生きるか』(岩波文庫版)を昨日読了しました。今回は、その覚書を記しておこうと思います。2000字を超える上に、かなりのネタバレをしているので、その点お含みおきくださいますようお願いいたします。

 

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

 

 

主な登場人物

コペル君

本名は本田潤一。中学1年生。本編の主人公で、様々な人たちとの交流、事件との遭遇で「成長」を遂げていく。「コペル」というのは「コペルニクス」からとったもの。

北見君

コペル君の親友。熱血漢で、やや頑固なところがある。後半での「事件」の中心人物。

水谷君

コペル君の親友。裕福な家庭で円満に育っている。

浦川君

豆腐屋の長男。父が用で不在のとき、店の手伝いをして中学を休んでいた折りに、訪問してきたコペル君と親密になる。

黒川

後半の「事件」の首謀者。先輩風を吹かせて、北見君たちとの「事件」を起こす。

かつ子さん

水谷君のお姉さん。古い言い方をすると、「モガ」に当たるだろうか。運動神経抜群。

コペル君のお母さん

やさしく聡明な母。夫を亡くしている。

コペル君の叔父さん

コペル君のお母さんの実弟。コペル君の亡父の言葉を胸に、コペル君の成長を時に見守り、時に促す。職業等は不明。

あらすじ

東京市銀座に出かけたコペル君と叔父さん。眼下に人の群れ、群れ、群れ。ひとしきり叔父さんと話し合ったコペル君たち。

その晩から叔父さんは1冊のノートに、「いつか」コペル君に読んでもらいたいと様々なことを記していく。本編は、コペル君の実生活の間に、この叔父さんが記す「ノート」が挿入されて展開していく。

浦川家への訪問

「アブラゲ」と揶揄されていた浦川君が数日学校を休んだことを気にかけ、コペル君は浦川家を訪ねる。浦川家は豆腐屋を営んでいた。父が金策のため不在のうえ、若い衆が風邪で寝込んでしまったために、浦川君は店の切り盛りをしていたのだった。

コペル君と浦川君とはすっかり打ち解けるとともに、コペル君は「自分(たち)」とは違った「貧しい」生活をしている人々がいることを知らされる。

黒川との騒動

二学期の末、柔道部の黒川らが「校規が乱れている」として、軟派者の山口と、「生意気だ」とされる北見君とを制裁するという噂が流れていた。

三学期の雪の日、果たしてその日はやってきた。「それならぼくらも北見君と一緒に殴られようじゃないか!」と約束したはずのコペル君であったが、「他に(北見の仲間は)いないのか!」という恫喝に気後れし、一歩前に進み出ることをためらってしまう。

北見君たちとの和解

北見君たちとの約束を破ってしまったことを気に病んでいたばかりか、重い風邪にまでかかってしまったコペル君は、半月も学校を休んでしまう。

風邪が快方に向かっていたある日、コペル君は「事件」の一連を叔父さんに告白する。叔父さんは、あれこれと悩んでいたコペル君に対し、北見君たちへのお詫びの手紙を書き、その後のことは北見君たちの判断に任せようと諭す。

いよいよ登校が許されるようになったある日、北見君たち3人がコペル君を訪ねてきた。回復する友情。コペル君は、これらの出来事を通して「よい人間」になることを胸に秘める。

そして、最後に著者が読者に問う。君たちはどう生きるか、と。

簡単な感想めいたもの

感想だけ書くつもりが、ここまでで1500字近くも書いてしまいました。お読みいただき、ありがとうございます。以下、手短に・・・。

本作は、1937年に初版が刊行されたのち、著者が2度手を加えて読み継がれてきたものですが、1982年、おそらく前年の著者の逝去を受けて「岩波文庫」への収録が検討されたのだと思います。その際、底本は1937年版とされるとともに、丸山眞男氏が「弔事」代わりに書いた一文が添えられて刊行されました。

1982年といえば、ぼくはまだ学部生だったのですが、たいそう話題になっていたことはぼんやりと記憶しています。いつ(何年生だったか)のことかまでは思い出せませんが、その話題性を受けて読んだことも覚えています。つまり、今回は30年ぶりくらいの再読にあたるわけです。

著者の吉野源三郎さんは、決して「児童文学者」ではありませんが、コペル君たちの活写ぶりは、あのケストナーの『飛ぶ教室』を彷彿とさせるものがありました。それほどに、「倫理的な主題」を差し置いて、少年・少女向けの作品として優れているものであると同時に、「大人」になってしまった人々が読むのにも耐えうるものがあります。

今回ぼくは、「叔父さんのノート」の部分を、思い切って書かないことにしました。これは、ぜひとも原文に当たっていただきたいからです。

最後に蛇足ながら。

この作品を、社会主義や共産主義の影響下にある作品と捉える向きもあるようですが、それは何とも矮小化した見方だと思っています。大げさに言えば、この作品は「善きヒューマニズム」の一結晶として、今後も読み継がれていくだろうと思っています。

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

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